大阪寝屋川教職員殺傷事件

 通っていた高校がなかなかとんでもないところで、卒業してしまえばもはや他人。母校を訪れようにも、事務的(威圧的)に校門前で査問にかけられるため、よっぽどの感覚を持つ人か、仕切っている(支配している)体育教師と部活を通じて親密な関係を持っている者しか訪れるようなことはないところだった。
 大阪の寝屋川で教諭ら3人が死傷する事件が起きた。大阪教育大付属池田小、宇治小に次いでまたである。「児童の安全確保と開かれた学校という理念」(京都新聞)の難しさが再度問われている。
 渋谷区では、各小学校に一人警備員を常駐させることを決めたらしい。だがそれは、相当な財政負担に耐えられる体質を持った自治体だけに可能な政策であり、ほとんどの自治体では対応できないだろう。従来通り、安全管理マニュアルの更新(それだってどれだけの意味があるのか)と教職員による警備巡回ぐらいしか現実的な対応策はないように思う。
 加えて、新聞各紙でも指摘しているとおり、地域ぐるみでの防犯対策が重要である。抜本的な解決策はないことはまず念頭に置くべきである。
 そして、うちの高校みたいな排他的な体質も問題の解決にはならないことを確認しておかなければならない。不審者の影におびえて外部の人間をシャットアウトして、どうして「地域」(卒業生の多くは地元人)と協力することができようか。