ゴスフォード・パーク
ロバート・アルトマン得意の群像劇。30年代英国を舞台に、貴族社会の虚実入り混じる愛憎を労働者階級(使用人等)からの視点を絡めて描く。多くの登場人物のキャラクターをしっかりと使い分け、立体感を失わないところはさすが。
一人の放縦な老貴族殺人事件を取り上げながら、そこに浮かび上がってくるのは、仮面の貴族社会の醜い実態と、その犠牲者としての労働者階級の悲哀である。いわゆる「謎解きもの」ではない。
捨てた父親への憎しみが、実の母親を殺人へと揺り動かすが、その事実を知ることはない。そして、そのことを知ることはない。母親はただ涙に暮れる。身分という巨大な制度への抵抗は、決して幸福をもたらさず、人知れない悲劇を繰り返す。
そのようにも感じながら、同時にこの世界を所与のものとして生き抜くイギリス人のしたたかさに感心した。これは物語であり、乾いた喜劇、風刺である。ウェットなメロドラマにはない真摯な人間観察記である。現代においても、余計なものをはずしてみれば、案外この世界と変わらないのではないか。それをわかりやすい形で見せ付けてやろうではないか、というような、アルトマン監督の底意地の悪さというか、一流のアイロニーを感じてしまう。
家電メーカー 大型投資が「国内回帰」 先端技術の海外流出防止
資源のない日本は、知的生産技術(=人的資源)で生き残っていかなければならないわけであり、こうした流れは妥当だと思う。長い目で見れば海外移転によるコスト削減のメリットは、移転先の経済成長により減少していかざるをえないからだ。
経済成長とは、つまるところ購買力の上昇であり、先進国での購買意欲が長期減退しているのと、世界規模での情報化により、生産品の発展途上国での流通は必然である。今後日本企業がさらなる成長を遂げるためには、こうした国々に製品を購入してもらわなければならないわけである。
これから求められるのは「商品価値」つまり「ブランド力」にある。
家電各社が相次いで国内で大型投資を計画している。一時はコストが安い海外での生産を拡大していたが、韓国や台湾などアジアメーカーの追い上げが急速に進んでいる。このため、各社は先端技術の海外流出を防ぐことで競争力を維持し、収益の拡大を狙う戦略に転換している。デジタル家電や半導体などの先端分野では、世界市場を舞台にした競争の加速は必至であり、今後も家電各社の「国内回帰」の動きが強まりそうだ。(大柳聡庸)
(中略)
また、国内投資が拡大しているのは、税収や雇用といった経済効果に期待する地方自治体の熱心な企業誘致も理由の一つだ。シャープの亀山工場を誘致した三重県と亀山市は合計で百三十五億円の補助金を交付した。こうした企業誘致制度を拡充する動きが各自治体に広がっており、企業の国内回帰を後押しする要因の一つになっている。
(産経新聞) - 6月17日2時48分更新
借りてきたCD
- THE BEST OF ZOMBIES
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TRAVISめちゃくちゃいい!
夜明けのうた
昭和40年日活。浅丘ルリ子主演。ラピュタ阿佐ヶ谷。1,200円。
物語は大きく二部構成。前半は、スター緑川典子(浅丘)の華やかで虚飾に満ちた生活ぶりを描く。冒頭のスチール写真のスライドショートJAZZの組み合わせがセンスいいし、クローズショットを多用し、さながら浅丘ルリ子のプロモのごとく美しい肢体を丹念に描く。下着姿等のサービスショットも満載。
後半は、前半部で偶然知り合ったカップルとの交流を通しての精神の再生を描く。
もうすぐ盲目になる運命の婚約者と、彼女を献身的に支える青年の姿に、典子は大きな感銘を受ける。大切な何かを失うことで、同時に大切なものを得る。そんな想いでもよぎったのか、大きな決意を胸に秘め、不倫相手が逗留するホテルへ向かう。暗く長い夜を終えて、美しい夜明けを迎えるかのように。そして、一度は拒否した自分をモデルにした脚本に向き合うことを決意する。
見ていて元気が出てくるいい映画。
ベルリン、僕らの革命
Bunkamuraル・シネマで鑑賞。1,500円。
社会・体制に反抗する若者を描いた映画は多いが、いつも思うことがある。それは、社会については居丈高に批判をするが、個人の問題になると体制側と同じ、もしくは若さゆえの稚拙さを露呈することである。
過去の青春映画の名作、例えばルキノ・ヴィスコンティの「若者のすべて」、ベルナルド・ベルトルッチの「革命前夜」「ドリーマーズ」でもその問題が炙り出されていた。そして、今作においても、その問題を根本部分では乗り越えられていない。莫大な借金に対しての怒りの感情が、義憤ではなく私憤から発され、連帯意識よりも恋愛感情を優先するのである。
行動は行き当たりばったりで一貫性がない。スローガン的な言葉はとめどなく出るが、三角関係を解決するのはいよいよの時まで黙っている。行動の失敗は当然の帰結といえよう。
劇場にあったビラに文化人芸能人がたくさんのコメントを寄せている。そのほとんどが若さ、エネルギーへの賛歌である。つまらない。
そのなかでピーター・バラカンのコメントがいい。「青臭さもいい加減さも青春のうち。理想のためにどこまでやる覚悟があるか、そこが問題です」。
物語の最後、主人公達は心の葛藤に耐え踏みとどまる。大きな成長である。理想をかなえるために何をすべきか何ができるか。輝かしい未来とはそうした意思を持った行動の極北にあるものなのだろう。
主人公達が批判した68年革命の闘士であった重役にしても、大きな葛藤や挫折を乗り越えて今の地位がある。そこに気づかなければ、「一生変わらない」。
音楽はロック満載。恋と革命とロック。クライマックスに流れる「Hallelujah」がいい。調べてみるとレナード・コーエン作曲。歌うのは夭折したジェフ・バックリィ。
お兄ちゃんが悪かった!
高校生の頃、ちょっとしたイザコザがあって、俺、Y、O、Mの4人でM家近くの電話ボックスで話し合いをしていると、父親が登場。挨拶をしようとするまさにその時、突然怒鳴りだす。どうやら酩酊しているらしい。わけのわからないことを口走ってくる。
あっけにとられていると、けんかっ早いYが「僕らの問題だから関係ないじゃないですか!」と日に油を注ぐような言葉を浴びせかける。
「何をーっ!」と拳を握り威嚇する父親。Oもいつでも来いの構えを見せる。まさに一触即発。
その時、「お兄ちゃんが悪かったー!」と叫びながら割って入ったのは偉人M。まだ強がる父親に対して、その台詞一点張りで必死に食い下がる。先ほどまでとは別の意味であっけに取られる我々。
Mの懇願もあってなんとかその場をとりなす。どうやら父親は夕飯の途中で家を出て行ったことがムカついたらしい。何やねんそれ。
この「お兄ちゃんが悪かったー!」はその後しばらくの間仲間内でブームになった。