新年度の抱負のようなもの

 本日から新年度、平成17年度開始。職場の顔ぶれも多少変わり、心機一転課題に向けて解決をはからなければならない。
 明日(土曜日)の出勤が確定しているので、仕事もそこそこに友人A、S1と飲みに行く。二次会で別の友人S2と合流。東方見聞録の個室で今年度の抱負にについて、気づけば熱く語り合う。
 仕事でいろいろなことを経験することで、話のニュアンスも視点も初年度からは相当変わったと思う。テクニック的なものもそうだが、一番身につけたのは、やはり「落としどころ」と「妥協」の技術であることは否めない。しかし、同時に全体の利益とは何かという視点も身につけつつあるように思う。
 今年度の目標は、言い方は悪いが「騙し」の技術の会得である。セクションごとの「思い」を集約しひとつの政策に仕上げなければならないが、底と天井部分は全体の利益、つまり市民、国民の利益を追求した結果、最大多数の最大幸福でなければならない。そのためには、計画の大幅な変更や中止もありえることを覚悟しなければならない。
 しかし、その過程部分については、多少のブラックボックスや不明瞭部分も許容していかなければならない。各セクションの顔も立てなければ、実務上の支障は必須であるからだ。底と天井の根拠さえ揺るがなければ最終的には良いのである。たとえ(必ず)結果に噛み付かれたとしても、結果に伴う責任の所在と根拠基盤がはっきりしていれば、結局は勝ち目のない勝負であることに気づかざるをえない。 そこで重要なのは、出来レースであることに気づかせない「騙しの技術」である。