街と記憶

 都会に生まれた人は家産に無頓着で、田舎で育った人は持ち家等の資産にこだわる傾向があると聞いたことがある。郊外のベットタウンで育った俺はというと、どちらかといえば前者である。パリのアパートとアメリカの郊外住宅なら、間違いなくパリを選ぶ。車がなければ電車を使えばよい。映画やテレビを通して、都市に対する憧れは厳然ともっていたし、その結果都会に出てきた。
 大きな公園とそれを取り巻くように整然と並んだ団地群。郊外、ベットタウンと呼ばれるその画一化された空間は、時には理想的とされ、神戸殺傷事件の舞台として忌み嫌われた時もある。 映画「下町の太陽」(昭和38年)の主人公は下町の長屋暮らしを好んだ。街のかたちが街を作るわけではない。
 街を作るのは人である。人々の交際が街を作り社会を作る。都心であろうが郊外であろうが同じである。中流社会間の井戸端会議も、多層的な人々の互いへの無関心という礼儀も、異文化の摩擦も、街をかたち作る重要な要素である。
 そうした人間交際によって生じた様々な記憶の堆積が、その街の背骨となり歴史となるのである。リージョナリズム(地域主義)もこの上に成立するものであろう。
 団塊世代の大量退職、人口減少社会。今後、「優雅なる衰退の世紀」(佐伯啓思)を迎えるためには、街の記憶にこれ以上断層を入れてはならない。日本中の街や村の歴史という大いなる資産・遺産を、慈しみ継承していかなければならない。
 いっぽうで、都会は都市再生の名の下に市街地再開発が花盛りである。いろいろなところで、古い建物を壊し区画を改変させていく。その普請作業がその土地に住んだ人々にどのような記憶となるのか。その記憶がどれだけ継承されるのか。まちづくりとはインフラだけの問題ではない。その土地、歴史にまつわる心の問題でもある。行政はその視点を決して忘れてはならない。