日本最高齢映画監督93歳新藤兼人氏、今も22歳の感覚 インタビュー

 日本最高齢の映画監督で22日に93歳を迎える新藤兼人氏がインタビューに応じた。年を重ねれば重ねるほど別れは増え、孤独感は増すもの。そんなとき、母親や最愛の妻だった故・乙羽信子さんの在りし日を思い出せば寂しさはないと言う。明治、大正、昭和、平成の4つの時代を生きてきたベテラン監督。心は「いまも22歳のときに映画界に入ったときの新鮮さのまま」と言って顔をほころばせる。

「まだまだやりたい」
 起床は毎朝6時。朝ごはんは、食事をお願いしている女性が前日夕食時に合わせて作ったものを温めて食べる。そしてバナナ1本を欠かさない。一見寂しく映る1人の食卓。でも窓越しに見えるすずめをながめ、食後に思索や懐かしい思い出に浸れば、至福だという。
 「母親のことを思い出さない日はない。母や乙羽さんの良いこと自由に思い出すのは勝手でしょ?」。目覚めて意識がぼんやりするのは数分間。すぐに「きょうはどんな実りがあるだろう?」頭は早々にフル回転に近い状態で動き出す。
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 活力の源は「仕事。無くなれば死んだも同然」とまで言う。「肉体的、感覚的に衰えたとしても挑戦をやめたくない。未知の世界への不安が好奇心に変わる。仕事は自分を試すことだから」。
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 どうしても撮らなければならないものが2つある。ひとつは「乙羽さんの死」だ。94年12月に亡くなった後「残された人々がどんな影響を受けて、いまがあるのか」を残しておきたいと言う。
 もうひとつは脚本も出来ている「ヒロシマ」。広島は故郷。「原爆の子」など戦争を見つめた5作を撮っている。が、満足していない。「原爆投下のその後でなく、1秒2秒3秒の間に6万人が殺りくされた瞬間」を描きたいのだと言う。
 「いまも22歳で映画界に入ったときの感覚。いっぱいの未来があるような。僕自身は変わりないんですよ」穏やかな笑みをたたえて話し終えると、カップのコーヒーをおいしそうに飲んだ。(内野 小百美)

 ◆新藤 兼人(しんどう・かねと)1912年4月22日、広島生まれ。92歳。新興キネマで美術担当後、溝口健二に師事し、シナリオ修行。興亜映画を経て松竹大船撮影所入り。50年松竹を退社し、近代映画協会設立。51年「愛妻物語」で初監督。主な作品に「裸の島」「原爆の子」「第五福竜丸」「三文役者」「ふくろう」など。
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(スポーツ報知) - 4月17日8時2分更新